鹿島漁港
早瀬漁港
岳浦山
火山(ひやま)
千本岳
鍋島
桂浜神社
春日神社
倉橋の上河内地区に鎮座する朱色の鳥居。
石段を上ると、春日神を祀る春日神社があります♪
倉橋島は、鎌倉期~南北朝初期までは摂関家領の一部、勧学院領の荘園「倉橋荘」となっていた。
春日神社は、摂関家領「倉橋壮」の総氏神として奈良の春日大社から勧請されたものと考えられており、参道入り口にある朱色の鳥居はその名残をしめすものであろう。
~宝島くらはしまちづくり協議会より~
明神社
伊勢社
信順寺
伊勢ヶ浜
唐船浜
桂浜
鹿島の段々畑
農水省主催による「第6回美しい日本のむら景観コンテスト」で「だんだんばたけのピラミッド」として選ばれました。
鹿島は、安芸灘に面した小島で、昭和50年(1975年)鹿島大橋で倉橋本島とつながった。
平地が少なく、海岸沿いの道路を越えるとすぐに急斜面の山になる。耕地は少なく、土壌も花崗岩が風化したもので地滑りが起きやすいため「耕して天に至る」の言葉通り頂上付近まで石垣を築いて耕地化していった。
江戸時代後期、広島藩では北部で人口が減少し、南部の沿岸・島嶼部は逆に増加している。
この過重な人口を支えた経済力の一つがこの耕地化である。
農作業も「負い子」を背負って昇り降りする。先人の、生きるための苦闘の歴史の所産である。
~宝島くらはしまちづくり協議会より~
段々畑は野菜作物(ネギ・エンドウ豆・ジャガイモなど)、柑橘栽培(みかん、八朔、レモンなど)が行われています。瀬戸内海のほぼ真ん中に浮かぶ周囲9キロほどの島で平地が少なく、山も急斜面で、花崗岩が風化した土壌のため、耕地に適していなかったので、石垣を築き農地にして生活していたのですね!重い石を運び、山の頂上まで石垣を積むとは、先人の知恵と労力の結晶ですね!
鹿老渡の宮林家
日向(ひゅうが)地方の材木を扱う商家で、日向の藩主もしばしば宿にしたという家。
鹿老渡は、安芸灘に面し、南北に天然の良港を持つため、内海の沖乗り航路の、風待ち潮待ちの港として栄えた。町並みは亨保15年(1730年)基盤の目状に計画的に作られた。
現在まで大きな変更が無く、当時の港街の様子をよく残している。宮林家は、江戸時代に木材を扱ってきた商屋で、頼山陽や聿庵の書も伝えられているように文人の来訪も多かった。
また、日向藩とはつながりが深く、藩主もしばしば当家に立ち寄ったと伝えられている。
主屋と土蔵は19世紀初めの建築で主屋は切り妻造り、桟瓦葺の平屋建てで、くぐり戸付の大戸、吹き抜けの土間上の複雑な梁など当時の商屋の様子をよく残している。
~宝島くらはしまちづくり協議会より~
江戸末期の家構えが、こわされないままで維持されていますよ♪